こんにちは。今回は、先日行われた東京都知事選についてお話ししたいと思います。東京都に住んでいない方にとっては関係のない話かもしれませんが、私自身選挙について考える良い機会になりましたので、ぜひお付き合いくださいませ。
政治の話題ってとってもデリケート
一般的に、政治の話題は避けるべきだと言われます。なぜかといえば、意見の対立が生じやすく、感情的になりやすいからのように思います。しかし、選挙は私たち一人一人に関わる重要なイベントです。特に、今回の東京都知事選は多くの問題が浮き彫りになりました。今後の選挙、例えば自民党の総裁選や解散総選挙などにも影響を与えるのではないでしょうか。
女性の選挙権は当たり前にあったわけじゃない
私自身、女性であることもあり、選挙の重要性を強く感じています。歴史的に見ると、女性は長い間選挙権を持っていませんでした。家族の中で男性が主として生活し、女性は結婚や家庭内の役割に従事する存在とされてきました。そのため、女性に選挙権が与えられるまでには大変な努力が必要だったんです。
私が学生の頃に学んだ歴史から、女性たちが自分たちの権利を主張し、選挙権を獲得するための意志と力強さは、現代の私たちにとっても大切な教訓だと思います。私はこの一点で欠かさず選挙に行っています。
私たち国民の誰もが選挙権を持つことは、当たり前ではないのです。法治国家であること。民主主義であること。これらを守り続けること、ルールや法律を守ろうと私たちが努力することが、責任を持って権利を主張するためにとても大切なことなのではないでしょうか。
都知事選の混乱
今回の都知事選では、小池百合子氏が再選されました。現職の都知事が再選を目指す場合、その圧倒的な強さは予測されていましたね。現職であることの利点として、これまでの実績をアピールできる点が挙げられます。現職が再選を目指す場合、過去の公約が果たされていないとしても、その立場の強さは明らかでした。
今回の選挙では50人余りの候補者が立候補しました。その中でも、今回の混乱を引き起こしたのはN党だったのではないかと思います。彼らは選挙という最も公正であるべき事象を、売名や広告、お金儲けの手段として扱ったように私には見えました。確かに法律や規則に抜け穴はあったでしょう。それを見抜いたことはとても賢いことだとも思います。しかしポスターの使い方や政見放送は、多くの議論を呼びました。選挙は私たちが持つ最も公正であるべき権利であり、それをただ個人の利益に使用することには私は憤りを感じました。
選挙の意義と私たちの責任
選挙は遊びではありません。選挙を通じて、私たち一人一人が国や自治体をより良くするための意思を表明する場です。しかし、今回の選挙では、政見放送や選挙演説が真剣さに欠けるものも多く見受けられました。選挙に勝つためだけに他の候補者を批判するような行為は、本来の選挙の意義を損なうものです。
また、選挙の結果に満足できなかったとしても、その1票は意味がないわけではありません。選挙に行くこと自体が重要であり、その行為が次の選挙に繋がります。選挙に参加し続けることで、自分の意見を表明し続けることが大切なのではないかと私は思います。
今回の都知事選を通じて、選挙の重要性と私たちの役割を再認識する機会となりました。選挙は私たち一人一人が持つ権利であり、その権利を行使することが大切です。次回の選挙でも、自分の意見を持ち、一票を投じることの重要性を忘れずにいたいと思います。そして利他的な考えのもと、投票したいとも思いました。
本日は棋士の藤井聡太さんのニュースを見て思ったことをお話しします。
藤井聡太さんは現在八間冠 (竜王・名人・王位・叡王・王座・棋王・王将・棋聖)全ての将棋のタイトルを持っている素晴らしい棋士です。彼の対局を見ていると、将棋の世界が私たちの人生や世界観に似ているのではないかと思いました。
将棋と未来の選択
今回の叡王戦の対局を見ていると、彼が一手を指すその先には無限の指し手が広がっている。その瞬間瞬間の選択が将棋の未来を形作るのです。これは私たちの人生と似ていると思います。どんな選択をするかによって未来が枝分かれし、無限の可能性が広がります。その中の一つを私たちは生きているのです。
例えば、藤井さんが一手を指す瞬間、彼の頭の中には何通りもの未来が見えているでしょう。それを予測し、最善の一手を選ぶためには膨大な経験と知識が必要です。将棋の対局は単なる勝ち負けではなく、その背後には多くの経験と知恵が詰まっているのです。
平行世界とマルチバース
将棋の未来の選択が枝分かれする様子は、平行世界やマルチバースの考え方に似ています。物理学の世界では、私たちがいる宇宙以外にも無数の平行宇宙が存在し、異なる選択をした結果が別の宇宙を生み出しているという考え方があります。将棋も同じで、異なる一手を指すことで異なる未来が生まれるのです。
このような考え方は、将棋の対局を見るときに非常に魅力的に映ります。「防衛か陥落か」という彼の勝敗というシンプルな結果を見ているだけでは薄っぺらくて、彼らに失礼な気さえします。
勝ち負けと人生の比喩
将棋の対局は勝ち負けの世界ですが、その過程には豊かな経験と知識が詰まっています。勝つためには膨大な経験と知識が必要であり、それを積み重ねることが大切です。これもまた、私たちの人生と同じです。日々の生活や仕事、人間関係など、あらゆる場面で経験と知識を積み重ね、それを元に最善の選択をしていくことが求められます。
勝ち負けだけに囚われず、その過程を大切にすることが重要です。例えば、部活動や習い事では、勝つために努力を重ねることが求められますが、その過程で得られる達成感や満足感が大切です。将棋も同じで、ただ勝つためだけではなく、その過程で得られる経験や知識が重要なのです。
楽しみと達成感の関係
楽しいだけではなく、その先にある達成感や満足感を求めることもありますね。将棋の対局も楽しいだけではなく、勝つためには苦しい努力が必要です。その努力の先にある達成感や満足感が、将棋を続ける理由の一つでしょう。これもまた、私たちの人生に通じるものがあります。日々の生活や仕事で努力を重ね、その先にある達成感や満足感を求めることで、より豊かな人生を送ることができるのではないでしょうか。
勝負の世界は確かに結果が重要ですが、その結果に至るまでの過程も同じくらい重要なのです。
勝負の世界では、勝つ人は一握りです。しかし、勝つためには多くの努力と経験が必要です。そして、その努力の過程で得られるものが、私たちにとって本当に大切なものなのです。勝つことも負けることも、全てが私たちの成長につながります。
将棋の対局を通じて、私は勝ち負けだけでなく、その過程を大切にし、自分の成長を感じることの重要性を再認識しました。将棋は単なるゲームではなく、私たちの人生においても多くの教訓を与えてくれるものです。藤井壮太さんの姿を見て、私たちも自分自身の人生において一生懸命努力し、達成感や満足感を求め続けることが大切だと感じました。
伝わる人に伝われ! という感じのお話になりましたが、本日はこの辺でおしまいにしたいと思います。ではまた次回お会いしましょう。
異界との接点
こんにちは、皆さん。今日は少しスピリチュアルな話をしようと思います。
私は以前スピリチュアリストとして働いていた時期がありました。
スピリチュアルな感覚や体験は個人の主観に大きく依存しています。例えば、絵を描くのが得意な人もいれば、歌うのが上手な人もいるように、霊的な感覚を持つことも一種の才能や特技なのかもしれません。自分が感じたり見えたりすることが全て正しいわけではなく、勘違いや思い込みであることも多々あります。だからこそ、霊能者やスピリチュアリストの言葉を全て鵜呑みにするのではなく、一つの意見として受け取ることが大切です。懐疑的であることは悪いことではありませんよ。依存させられたり、洗脳されるよりずっとマシです。
異界の体験
異界の話を聞いたことがありますか?
例えば、山中で迷っていると突然家が現れ、親切な人々がもてなしてくれるが、そこから出られなくなるというような話し。実は、私も異界のような体験をしたことがあります。
奈良県の天川村には「天河弁財天」という神社があります。看護学生の頃、その神社に行くようにと言われる夢を見て、調べたら実在する神社だったので行ってみることにしました。吉野の山のそのまた山奥にあり、1日にバスが2本しかない場所です。電車とバスを乗り継いでようやくたどり着いたその神社は、芸術の神様として有名で、能の舞台と社殿が一体化している美しい神社でした。
ある日、その村を散歩していると突然雨が降り始め、傘をさして歩いていると音が消えました。雨の音も、自分の足音も、全てが無音になり、不思議な感覚に包まれました。恐怖は感じず、何かに守られているような感覚でしたが、これは現実ではないと直感し、その場で立ち止まりました。すると数秒後、音が戻ってきたのです。あのまま立ち止まらず歩き続けていたらあちらの世界に行っていたかもしれません。異界らしきところに接した不思議な体験でした。
異界との接点は、日常生活の中でふと現れることがあります。特に、夜や朝方にその存在を感じることが多いようです。こうした経験は、タイミングや感覚が合わないと気づかないことが多いのですが、もし異界のような感覚を感じたら、無理に進まず一度立ち止まって自分お感覚を確認し、少しでも違和感を感じたら進まないようにしてください。
スピリチュアルな世界に興味を持つことは素晴らしいですが、その世界に足を踏み入れる際には十分な準備と注意が必要です。例えば、いきなり富士山に登ることはしないように、スピリチュアルな世界に対しても慎重になるべきです。安全な環境で少しずつ体験を重ねることで、自分の感覚を鍛えなければ手を出すことは危険かもしれません。神仏は感情がありません。だからこそやることもいうことも忖度はなく、「こうするよ。こうなるよね」と全てが結果に忠実で真っ直ぐだからこそ、私たちには厳しく苦しさを伴うものがほとんどです。
優しいメッセージなどはありません。そこにある正しさ(ありのまま)があるだけです。
スピリチュアルを楽しく人を癒してくれる魔法のようなものだと思っているのでしたら、その考えはいますぐ改める必要があるかもしれません。
私たちは魂と肉体のハイブリッドな存在であり、異界の存在を感じることもあるでしょう。しかし、その感覚を大切にしつつも、現実世界を基盤として生活いたしましょう。
今日は先日参加した仏教行事「お施餓鬼(おせがき)」についてお話ししたいと思います。私は無宗教の立場ですが、田舎の長男の嫁でもあるので、お墓を守ることもやらねばなりません。ご先祖様とのつながりは息子たちにも伝えたいことなので大切にしています。
私たちは、魂と肉体のハイブリット。ご先祖様のDNAのおかげで肉体を持ち存在することができています。そう考えるとご先祖に感謝しなければと思いませんか。
お施餓鬼とは
私の家は禅宗の曹洞宗に属しており、毎年6月頃にお寺でお施餓鬼があります。この行事では、自分のご先祖様だけでなく、無縁仏や小動物、さらには関係のない命に対しても供養を行います。お釈迦様の逸話にもあるように、無縁の霊に対しても手を合わせ供養することが大切だとされています。私はすべての生きとし生けるものに感謝し、命をいただくことへの感謝を込めて供養させていただいています。本来の仏教の教えとは趣旨がちょっと違うのかもしれませんが。
お施餓鬼は
お釈迦様の弟子が夢で見た六道の餓鬼の話が始まりなのだそうです。
釈迦の弟子のところに餓鬼が飢えに苦しみ、救いを求めて現れます。弟子はお釈迦様にどうすれば餓鬼たちを救えるか尋ねると、お釈迦様は多くの人々と共に祈り供養することで救えると教えました。それでお寺には多くのお坊さんが集まり、檀家の人たちも集まってお経をあげて祈ります。
年に一度でもこのような行事に参加することで、私は心がすっきりと浄化されるような感覚を覚えます。
おもしろいことにお施餓鬼の日は雨になることが多いのです。今年はとてもよく晴れていましたが、私は雨が降ることは悪いことではなく、神仏様が降らせてくれる浄化の雨なのかもしれないと思ったりいたします。これも思い換えですね。
先日は天気が良く、蝶々や蜂、鳥などの小動物が多く見られました。小動物も供養するという意識があるため、自然と小動物に目が向きます。自然の山の中にあるお寺なので小さな命にも触れ合える1日でした。
日本人のアニミズム信仰
日本人は神道、仏教、その他の信仰を自然に取り入れながら生活しています。生まれた時は神社でお宮参りをし、亡くなる時は仏様に手を合わせる。また、正月には神社に参拝し、クリスマスを祝い、年末には除夜の鐘をつきます。このように、さまざまな宗教観が文化として根付いているのが日本の特徴です。すべての命に感謝し、日々の生活に自然に取り入れている「いただきます」や「ごちそうさま」、そして「ありがとうございます」という言葉。これらは自然信仰やアミニズムの精神が豊かな日本文化の一部なのではないでしょうか。
時には、無意識に行っているこれらの行動を意識してみることで、新たな気づきが得られるかもしれません。皆さんもぜひ、自分の行動や習慣を振り返り、命の大切さや感謝の気持ちを再認識してみてください。
*アニミズム信仰とは
アニミズム(animism)とは、人間以外の生物を含む、木や石など、すべての物のなかに魂が宿っているという思想や信仰のこと。ラテン語で霊魂を意味する「アニマ(anima)」からつくられた用語で、世界各地のさまざまな民族の宗教や風習に見られる。
このアニミズムは、実際にアニミズムを信仰する人々が使用する用語ではなく、人類学研究において構築された概念である。
在処塾修了生との幸せな再会
今日は、先日行った在処塾修了生とのお食事会のお話をさせていただきます。今年の8月で在処を設立してからちょうど8年が経ちます。これまでに約50人の方が在処塾を修了し、日々「楽園志向」で幸せに過ごしているはずです。
私は半年ほど体調を崩して発信を控えていましたが、5月30日の誕生日に修了生の皆さんに声をかけたところ、平日の真昼間にも関わらず7名の方が八王子まで集まってくださいました。私を含めて8名での楽しい洋食ランチとなりました。
久しぶりに皆さんと会うことができ、本当に嬉しかったです。コロナ禍の影響もあり、直接会う機会が減っていたので、顔を合わせておしゃべりできるのはやはり格別ですね。
在処塾は一般的な自己啓発セミナーとは違い、1対1で深く個人に向き合う形式です。受講者それぞれ完全オリジナルメニューを提供しており、深い自己探求を行っています。
この取り組みを通じて、皆さんが自分の内面に向き合い、整理することができるようになります。そして、その結果として、修了生の皆さんが自分の納得した答えをオープンに話せるようになるのです。自分の過去の黒歴史や、トラウマとしてかかえているものを人に話せるようになるほどですこれは単なる自己開示ではなく、自分の感情や過去の出来事をしっかりと理解し、整理し納得すること。正解か誤りかではなくその人にとっての「納得解」を見つけるプロセスです。
半年ほど自分に向き合った後、皆さんには必ず変化が訪れます。修了生たちが集まる場では、自分の納得を素直に話せるので、皆さん自然体で楽しい時間を過ごすことができます。
今回のお食事会では、洋食をいただきました。中には赤ちゃんがいる方もいらして、その方も夏に出産予定です。久しぶりに会えてとても嬉しかったです。お食事はオムライスやお魚料理を楽しみました。メニューを決める時も、皆さんそれぞれの好みを尊重しながら決断していて、その姿勢がとても素敵でした。
自分が何を食べたいかを選ぶことも、自分を知る一つの方法です。自分の感覚を大切にし、毎日の選択を心地よく過ごすことが、充実した人生につながるのだと改めて感じました。
皆さん、毎日を自分の感覚に従って選び取っていますか?
もし選べない状況があるなら、それを嫌だと言う勇気を持っていますか?
この繰り返しが、私たちの人生に変化をもたらします。
の感覚を信じて、流されずに生きていきましょう。
今回の再会で、皆さんが自分をしっかりと知り、自分の選択に自信を持っている姿を見て、私は本当に幸せな気持ちになりました。素敵な皆さんとの時間は、私にとって大切な宝物です。これからも皆さんが心地よく過ごせる選択をし続けてほしいと願っています。
在処塾
5つのステップであなたは間違いなく変化する
在処独自の実践ロジックを体験してください
1両親 そして幼い頃の自分からの卒業
2習慣からなる思い込みの「思考のクセ」の修正
3「魂の向上スパイラル」によって直感を高め経験値を得る
4「思い変え」で自分の世界を創造する
5しなやかな自分軸を持ちブレない生き方を手に入れる
随時受付中
zoomもしくは対面にて
ここ数日、我が家のかわいいにゃんこ、ラグちゃんが食欲不振なんです。大好きなごはんを徐々に食べなくなり、最終的には完全に拒否。猫は痛みや不調を直接伝えることができないので、普段と違う様子に気づくのは飼い主しかいません。
実は、ちょうど1年前にも同じような症状が出たことがありました。ラグちゃんはふわふわの毛を持つラグドールなので、春には毛が抜けて夏毛に変わる時期。この時期は毛玉を吐きやすく、食欲不振に繋がることがあります。昨年も原因が特定できず、対処療法として点滴治療を行いました。その結果、10日ほどでラグちゃんは突然元気を取り戻し、再びごはんを食べ始めました。
今回も同様に、原因は不明でしたが、点滴治療をお願いしました。原因がわからないことに不安を抱く飼い主さんも多いですが、私は対処療法を選びました。ラグちゃんが苦しまないようにすることが一番大切だと感じたからです。
ペットの愛とこだわり
私はラグちゃんが苦しまずに生きていてほしいと願っています。ペットは家族の一員であり、大切な存在です。しかし、彼らにも彼らの命の使い方があります。原因不明の病気は人間にも多くあります。原因がわかることはラッキーなことであり、それがわからない場合は症状に対処するしかありません。
ラグちゃんの病気も同様で、私は飼い主として対処療法で一時的に楽にすることを選びました。私にとって大切なのはラグちゃんが心地よく過ごせることです。必要以上に検査をしてストレスを与えることは避けたいと思っています。原因を究明することにこだわりすぎると、ペットにも私たち飼い主にも苦しみが長引くことがあると、思うからです。
こだわりと諦めのバランス
私は自身の病気に対しても同じ考えを持っています。原因不明の病気がいくつもあり、それが絡み合って現在の体調があるので、何か一つの原因を特定しても、私の命が劇的に長くなるとは思っていません。痛みを伴う治療は避け、今できるベストな選択をすることが私の基準です。
こだわりすぎることは時に苦しみを生むことがあります。原因がわからないことに対して、それを究明するために多くの検査や治療を受けることは、結果的にストレスや苦痛を伴うことがあります。私は、自分がどこまで望むのか、何を重要視するのかを見極め、無理をしない範囲で対処することを心掛けています。
こだわりを持つことは時に大切ですが、それが苦しみを生むこともあるということを知っておくことが大切です。ラグちゃんの治療においても、自分自身の健康においても、あまりこだわりすぎないことが、心地よく生きるための一つの方法かもしれません。
こだわりすぎることなく、柔軟な思考で向き合うことが大切だと改めて感じました。皆さんも、こだわりすぎずに、時には諦めることも選択肢として考えてみてください。それが自分や大切な存在のためになることもあるのです。
お久しぶりです!
半年ぶりの配信となります。長らくお待たせしてしまい申し訳ありません。今日は、私の近況についてお話ししたいと思います。
この半年間、体調が思わしくなく、配信やブログの更新が滞ってしまいました。その間、私自身も様々なことを考えながら過ごしてきました。そんな中でも、在処塾の修了生フォローアップ講座は毎月続けており、個別のフォローアップやホームページからのセッション申し込みなどもあって、少しずつですが稼働はしておりました。
特に印象的だったのは、海外の方が私を見つけてセッションを申し込んでくださったことです。不思議なご縁に感謝しつつ、その方に「どこで私をみつけてくださったのですか?」とうかがうと「悩みを相談できる人をと探していたら在処のサイトに行き着きました。」とのこと。セッションを通じてご先祖の守護が強いことをお伝えすると「じつは子どもの頃から祖父母にお墓参りにによく連れて行ってもらっていて、なんとなく先祖のことを考えることが多いんです。もしかして祖父母が縁を繋いでくれたのかも知れません」っとお話しくださいました。
在処のサイトは目立つ宣伝もしていませんので、飛び込みで来てくださるクライアント様はなんで見つけたのかわかりません、と言う方が多いんです。ここでお互いにお話しするのが必要なことだったのでしょうか。おもしろいものです。
この期間、私の目標は「安寧」にたどり着くことでした。
安寧とは、自分にとって最も安定したところに止まることであり、そんな生活を続けることだと思います。そしてそれを実践し続けることが私の日常でした。日々変化する世界の中で、自分の安定した場所を見つけることが大切だとつくづく感じる毎日を過ごしました。
幸いなことに、体調も気力も徐々に回復してきましたので、これからは再び皆さんに向けて発信をしていこうと思います。私たちが目指すべきは、日常の中での小さな幸せや安定を見つけ、それを大切にすることです。
これからも、私の経験や考えを共有しながら、皆さんと一緒に「安寧な生活」を探求していきたいと思っています。
次回の配信では、私が最近考えていたことなどをお話ししたいと思いますので、ぜひお楽しみに。
今後ともよろしくお願い致します。また次回お会いしましょう!
正月三が日を避けて、週末に栃木の実家に帰りました。
今年は長男のユウさんがいっしょでしたが、彼に「お母さんの兄弟って交戦的だよね」と一言。
交戦的というよりは、よくしゃべるし何でも忖度なく話すので、そう聞こえるのかも知れません。
もともと私たち家族は母子家庭で、母は仕事で忙しかったですし、そういうところで何か問題があれば自分たちで解決することが常でした。あとは母に面倒をかけさせてくなかったということもあったでしょうけれど。そいうことから何でも話すようになったのかも知れません。私も今は主人と結婚して新しく家族ができて、年もとりましたからなんでもいうようなことはなくなりましたが、実家に帰ると昔に戻ってしまうのでしょう。
過去の友人に会ったり、以前住んでいた場所に戻ったりすると昔の自分が蘇ってしまいます。一度つくられた習慣は消えるものではありません。環境に合わせて復活してしまうこともあるでしょう。でもそれを感じると、今の自分との違いを感じることもあります。あぁ今はもう違うんだな、とちょうどいい自分を確認する機会にもなるようです。
今年は年明けから地震、事故、火災、通り魔事件と災厄が降り注いでいます。
特に災害の時は何かできないかと思うのは当たり前のことですが、直後はプロに任せることが一番スムーズにことが進みます。素人は邪魔をしないことが大切です。
それでも、何かしたいと考えるのは、人として当然です。
そんな気持ちの落ち着かない時は、祈ってみてはどうでしょう。
「祈ったところで何にもならない。現実的に行動したほうがいい」
それは確かにそうなのです。
でも今どこかで悲しく不安な気持ちになっている人がたくさんいて、動かないほうがいいこともある時期なら何ができるかって言ったら、祈ることしかないではないですか。
人は肉体と魂のハイブリットです。フィジカルの肉体でできることが行動で、それができないときは魂のことをやったらいいんですよ。
祈りは魂の繋がり、心の問題です。
祈りで何か急に変わることはないかも知れませんが、何もしないより鎮魂の祈りで心を伝えたらいいと思います。
役に立つかどうかより、やらないよりやったほうがマシって考え方もこういう時はありなんじゃないでしょうか。
私は祈りますよ。
少しでも1日でも早く安寧な時間が戻ってきますように。
毎日キッチンで使うものといえば包丁が挙げられると思うのですが、切れ味が悪かったりするとイライラしませんか?
ずっと切れ味のいい状態を保つには研がないと行けないのですが、研ぎ石がどうのとか、カエシを作るだとか、調べれば調べるほど面倒に見えて、それでも気になるものだからずっと簡易の研ぎ気を使って騙し騙し使っていました。
ところが最近もっと簡単に考えたらいいんですよ、という動画を見てやり始めたら結構簡単で、素人にはこれぐらいでいいんだって自分のちょうど良いが見つかったのです。
するとサッと研ぐのが楽しくなってきて、毎日の食事作りもストレスがなくなっています。
ちょっとしたことですが、面倒だと思っていたことも「私にはそんな本格的でなくてもいいんだよね」という納得が得られれば十分だと思いました。
参考にした動画です
わかりやすいし、簡単です。↓