2023年を振り返る・二極化と隠せない時代の始まり
今日は来年2024年に具体的に何をしたらいいのか?をお話ししています。
どんなことが起きようとも、私たち自身が災厄や変化に対してしなやかに対応することができれば、大難を小難にすることができます。
一年を通してのテーマは
「我・私」です。
1 自分は何をする人か?私は何者か?を知ること
2 他者と自分の距離感をつかむ
3 経済的な自立
具体的なお話は、こちらで配信しています。
続きはこちらを聞いてくださいね。
まずは今年2023年を振り返ってみます。
パンデミックの波を一山越えて、まずは動きを止めたものが動き出す年でした。
二つの世界もそこかしこでみられましたし、そこであなたはどちらの世界にいたでしょうか?
風の時代もすでに数年が経ち、膿出しも始まっています。
今まであっても隠されていたものが、表に出てくるようになりました。このままではいけないと、修正する動きもありますね。
具体的なお話は、こちらで配信しています。
続きはこちらを聞いてくださいね ↓自分を変えたいって思っているあなた
あなたが変わっていないのは 本当は変わりたくないからです
変わる行動を起こせないのは 変わりたくない自分に嘘をついて
「変わりたいんだ」と思い込ませているだけなのかも知れません
自分の心をよくみてごらんなさい あなたは自分に正直ですか?
真実や本心は、必ず行動として 言っていること やっていること
つまりは「言動」にはっきり出てきてしまいます
行動はとても正直です
覚悟とか 信念とか
そんなものはいりません
今までとは ちょっと違う考え方を取り入れる勇気と
全ての出来事は 起こるべくしておこっていることを 受け入れる
考えていることを行動に移すのです
それが あなたが 変わっていくはじまりなのかもしれません
【自分の人生は がんばって努力すれば 思い通りになるんだ 人生は自分でつくっていくものなんだ】
こう思って日々を送っている人は多いでしょう。
しかしこの思いが強すぎると、それは我欲のコントロールになってしまうことがあります。
自分をコントロールしようとすると我慢や無理をしてしまうことが多くなってしまいますし、人をコントロールすると「こうしろああしろ」「なんでこうしないんだ」と不平不満が強くなってしまいます。
これが刺激となってストレス反応が出てしまうと、人間関係がうまくいかなかったり身体的に鬱症状が出てしまったりしてしまいます。
努力は大切なことですし、責任を取ることも重要です。ただし努力は権利であり義務ではありませんから、やるもやらないもあなたが選んでいいのです
頑張れば成し遂げられることもありますが、私たちは人ですからそうでないこともたくさんあります。
それでも「努力」も「がんばる」も良いことだと思っているから やっているのかもしれません。
そしてその良いことを 誰かに認めてほしいから やっているようなことはありませんか?
そんなことに苦しくなったら、くるものをただ受け取る「おまかせ」をしてみてはどうでしょう。
「星読み&ガイドアドバイス」にお申し込みいただく方の中に、「占いではないのですか」と言われることがあります。
ご期待に添えなくて大変申し訳ないのですが、在処で江野澤と私が行っていることは占いではありません。
あなたの人生の課題の提示です。
西洋占星術やスピリチュアル的な手法を取っていますが、それはあくまでみなさんにわかりやすくお伝えするためのツールであり、本来の目的は「生まれてきたからにはこれだけはやっておこうね」という自分で決めてきた今世の学びを思い出していただくこと。
さまざまな考え方があることを承知で申し上げれば、私は「生まれた意味がある」と考える派です。
ではその意味とは・・・
輪廻の中でやり遂げられなかった魂を輝かせる智慧を得ることだと考えています。
それは私たちのホロスコープの土星に人生の課題として書き込まれています。
ただこの課題は「課題」なだけあって誰もがやりたくない、取り組みたくないと思いがちなものなので、実生活の中で手をつけていないばかりか、思考の歪さから拗らせていることも多いのです。
そこを霊的にガイドのメッセージとともに本来のあなたとはどんな性質で、それが今こんな形で思考の癖が出ていてこじらせているから悩みや苦しみに繋がっているのだとお伝えします。そして伝えるだけではなく、どうしたらその癖をいびつさを拗らせている思考を修正するのかという、具体的な方法もお教えします。
最終的には「課題に取り組むか取り組まないかは、あなた次第です」な訳ですが、もしやると決めた人には私たちが全力でサポートすることもしています。
自分は何をやる人なのか、何者なのか?の答えを知りたいと思っている方は、特にこの土星の課題をやり抜くことが重要です。
誰かが教えてくれたり、なんとなくの直感でわかるものではないのです。
経験値ためて 直感上がってますか?
これから書こうとすることをブログに載せようかとても迷いました。
マーサにも相談したのですが「梅雨子先生が書きたいと思われるなら、それも必要なことなんだと思うのでいいんじゃないですか」と言ってもらえて、かつ相手方の会社にもデザインなどのリンクを外していただく旨をメールでお伝えし(と言っても相手方はメールでの返事をまだしてきてはくださらないのですが)とりあえずマーサの個人ラインには了承したような返事が届いているようなので、私たちの自戒としても、みなさんの教材としても読んでいただけたらと思います。
長年抱えていた在処の弱み
11月になって今年の総括をする時期に来たように思います。
今年はコロナの緊急事態宣言で行動を制限される中、動けないからこそ今まで「あったけれど見過ごしてきたこと」に気づくことができました。
それが在処にとってのWEBサイトの管理問題でした。
始まりは昨年の末の「風の時代」突入したこと。
ちょうどそのタイミングで、在処の最初のロゴのデザインや、私たちの写真などをとってくれた方から
「風の時代に合わせて、ホームページを新しくしませんか?」
という提案をいただいたことに端を発します。
「必要なことしか起きない」を実践している私たちですから、在処も4年目になるし、順調に進んでいるからここでイメージを変化させるのもいいかもしれない!これは必要なことなのかもしれない!と思ったんですね。画像のイメージも今までの黒を基調にしたものから白い軽やかなものになっていましたし(見た方は分かりますよね)、新しい私たちを見せて行くのも悪くないと、考えたわけです。
それ以上に、在処を立ち上げた時に関わってくださった人たちでもあったので、信頼もしていました。私たちを、在処のやっていることを理解してくれているだろうと期待したのです。
実はここに在処の弱みがありました。
私もマーサも仕事はデジタルでやっていますが、そんなに詳しいわけではなく、なのにホームページをWordPressで作成したので、WordPressに詳しい人に関わってもらわなくてはならないということ。
そしてみなさんご存知の通り、在処は結構特殊なことをしていて、考え方や思想学的なことを頭だけでなく実践することをやっているので、大きく変化をもたらすことだからこそその芯(真)というか軸というか、それを実感していただいていないとなかなか私たちがやろうとしていることが伝わらなくて、それが事務的なことであっても、私たちにはその説明がとてもストレスになるんです。痒いところに手が届かないことにイライラするというか、細かいことなんだけれど、どうしてそうするか、どうしてその表現なのか、が的外れだととても困るんです。
「WordPressの管理が得意で、かつ在処の考え方を理解している人」
今まで関わってくださった方々も悪い方達ではなかったのですが、今回こそ私たちと足並みを揃えてやっていける人たちなのではないかと、
ここ大事です!
私もマーサも勝手に、上手くやれるのではないか。在処のデジタル問題も解決できるのではないかと思ってしまったんです。
まさに「弱みの解消」の策がここにあったと飛びついてしまったのです。そして今までの彼らとの関わりの中で私たちが感じたことを土台に、彼らを信用したのです。
続く・・・
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続き・・・
問題が次々と噴出!でも気づかない
彼らのおかげで「風の時代」のホームページは完成しました。イメージは明るく軽やかになりました。
そして二つ目の問題が起こります。
じつはこの時私たちは大きな間違いを犯していました。それは、デザインをお任せした時点で作業の見積もりをいただいていなかったのです。(後日マーサのお父様にご相談したときに「見積もりを出さない相手の仕事を受けてはいけない!」と一喝されました。本当に世間知らずですね。情けなかったです)
見積りがないということは、いくらでこのホームページリニューアルの仕事をするのか?の共通見解がお互いにない状態で完成し納品されたということ。これも「あちらもきちんと考えて対価を出してくれるだろう」なんて信用を過信していたから起きたことです。
本来ならばどんなに信用していたとしても、そこはちゃんと仕事としての責任が必要でしたし、そのための書類や共通の認識をしっかりと持つべきだったのですが、私はそれを怠ってしまいました。甘えていたんだと思います。
そして「お支払いはおいくらでしょうか」とお伝えしたところ、お返事が「お金ではなく、新しい時代の実験としてお互いのエネルギーの交換ではいかがでしょう?」との提案をされました。
はい、これが三つ目の問題です。
じつはこの提案をいただいたとき、ちょっとモヤっとしたんです。
「エネルギーってなんだ?新しい実験?そもそも彼らがいうエネルギーとはなんだろう。お金をもらいたくないのか?それとも自分たちの仕事の対価がわかっていないのか?」こんな考えが浮かびました。が、しかし!ここでも彼らを信じた私が「彼らがいうならやってみてもいいかもしれない。」と思ってしまったのです。
おいおい私、どうした!
何が私の目をここまで曇らせているのか・・
そうです、これこそが私のアンカー「傲慢さ」です。私の持つ魂のクセ。もっとも恥ずべき、醜さの元凶。私は自分の傲慢さでもって、彼らがまさか私を騙すようなことはしないだろう、とか、私が信じているんだから大丈夫、とか、エネルギーの交換よくわかんないけどやってやろうじゃない!なんて気持ちになっていたんです。
なんとも情けないことです。
そして流されたましたね、ちゃんと。
足元をすくわれていました。
これこそが「風の時代」の勘違いでした。
そもそも風の時代とは、西洋占星術でいう「風のエレメント」の星座が影響を及ぼし始めるということ。
12星座は、火・地・風・水という4つのエレメントに分けられます。
火: 牡羊座・獅子座・射手座
地 :牡牛座・乙女座・山羊座
風 :双子座・天秤座・水瓶座
水 :蟹座・蠍座・魚座
風のエレメントは「知性・情報・コミュニケーション」をあらわし、強いていうなら「外交的なつながり」を意味します。浅く広く広がっていくもの。
私は太陽星座双子座でまさに風のエレメント。普段はどちらかというと月星座の獅子座が強く出ているので、側から見たら風っぽくは見えません。でもそれが刺激されたんでしょうね。そして普段はあまりでない、ノリと勢いが私を制した。
「風の時代」は信頼と情熱の硬派な在処には必要のないものだったのに、私たちはそれを見誤ったのです。そして見るべきは「風の時代」なのではなく「水瓶座時代」であったと気づいたのです。
続く・・・]]>
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続き・・・
エネルギーって簡単に扱えるものじゃありません
「風の時代」を「水瓶座時代」とイコールで考えている占星術師さんもいらっしゃいます。水瓶座は風のエレメントですし、そういう見方も間違っているわけではないのですが、私とマーサも見解は「風の時代」はここ数年の短いサイクルの星の影響によるもので、私たちが実際感じたのはそんな軽やかなものではなく、不動宮の「水瓶座」の拘束感でした。
これは占星術の3区分といわれる「どんな行動が得意か」という区分になります。
「継続する力、強い意志や安定感」が不動宮の持つ意味合いになるのですが、こちらのことを試されたように思います。
「在処は軽さや万人受けするように変化して行くのか?」と問われたたということです。
さて、「エネルギーで対価の交換を」といわれた私たちは、既にサイトを完成させ納品した状態でもあったので、少しでも早くそのお返しをしなくてなならないと思いました。在処でお返しできるものといえば各講座の知識を得てもらうか、私のガイドの翻訳をお伝えするか、マーサに星読みをしてもらうか。もしくは在処塾になります。私はその時作っていただいたサイトがどれくらいの価値なのかわからなかったので、私たちの持っているスペックのもっとも高い価値のある在処塾をやりませんか?と提案しました。最も価値があった、要は私にしてみると最もエネルギーをかけて実施しているものでもあるということと、彼らのガイドももしできるなら今変わっておいた方が良いと思うとのメッセージももらっていたからです。彼らも変化の時を迎えていましたし、もし必要ならとガイドのメッセージも伝えて投げかけてみました。
しかしここからがまたまた障壁が出現します。これは彼らにとっての障壁だったのですが、在処塾をやった方ならよくおわかりでしょう。
タイミングが今じゃない問題です。
自分の中の無意識が変化することを拒否するんですよね。人は習慣の生き物ですから、変化は恐怖でしかありません。そこを乗り越えさせるものは「変わりたい」という強い意志と「勇気」しかありません。
「在処塾はやりたいけれど、今ではない」
「時期を見て始めたい」
そういう言葉に、直接お話をしたりもしましたが話はまとまらず、期限もないこのエネルギー交換の約束はとても恐ろしいものだとやっとわかったのです。
これは徳の相殺にも関係することですが、私たちが行う行動が周りにどう影響するかで、どんなことも自動的に徳の相殺は行われています。エネルギーをあたえられたらそれには相応の価値あるもので返さなければなりません。多くもらい過ぎればその余分を何かで返すことになります。例えば私の場合、若い頃ずっと占いや霊能を無料で行ってきました。その対価を受け取らないということがお金ではなく相手の徳をもらうということで相殺され、私には余分な徳がどんどん溜まっていきました。これ一見良いことのように思われるかもしれませんが、徳はお金と違って魂に溜まっていくもので輪廻の中でずっと使われるものです。お金よりずっと価値のあるものですから、それが溜まって、私の器を超えるほどになった時、その余分を変換されることが起きます。それが「お金というわかりやすい対価を受け取らず徳を奪った代償として、私自身が健康を害する」ということがおきました。
この仕組みがわかったとき、エネルギー(徳)をお金というこの現世でしか使えないものに変換することで、私たちは守られているのだということを知ったのです。
だから、お金は大事なんです。
在処のメニューも私のセッションも、マーサの星読みも、この世界のある意味エネルギーの対価であるお金で価値を定めています。目に見えない世界が認知される世がやってくるとしても、それはもっと先の話でしょうし、今のこの世界を生きている私たちが見えないものの価値を見極めるほど高尚であるわけがありません。「エネルギー交換の実験」を提案されましたが、そんなこと今の私たちにできるなんて傲慢にも程があります。なんとバカな提案を呑んでしまったのでしょう。
私は自分がとても恥ずかしくなりましたし、人としての未熟さを再認識しました。
そして私は正直に彼らに謝りました。
「エネルギーの交換でとの提案を一度は受けたけれど、それは大きな間違いだった。この世界ではあなた方が作ってくれたサイトのエネルギーがどれほどのものか、私には判断がつかないし、それらを相殺するのに私やマーサがどれほどのものを提供しなければならないのかもわからない。このままではお互いに何もわからないまま、いつまでこの交換を続けたらいいかも定まらない。それでは私はとても不安なので、この世界のルールに戻したいと思います。振り回してしまって申し訳ないが、サイト作成の料金を現金でお支払いしたいと思う。おいくらですか?」と。
そして何故か、見積書が来ました。(ここ請求書でないところがまた意図があるのです)
それには百数十万円の金額が書かれていたのです。
続く・・・
]]>続き・・・
微塵に吹き飛んだ信頼と期待
見積書に書かれた百数十万円という金額。
これは驚きましたよね。
私もマーサも事務局のOさんも、これにはドン引きでした。
「あのサイトは百数十万円だったのか!!もしそうだったのなら、彼らに頼むことはしなかった(高すぎる.いくらなんでも私たちには分不相応)。まじか。」
ここで私たちだけで考えていても知恵が足りないので、マーサのお父様に相談したり、他社でサイトをつくっているデザイナーさんに新しくしたサイトの見積りを出していただいたりしました。
その結果、
見積書で出してきたということは、百数十万円の請求は本気ではないのだろう、ということ。
この根拠として、この値段は私たちが提示した在処塾の2名分の金額だったからです。おそらく彼らは「在処塾の代金をエネルギーとするなら、自分たちの作ったサイトも同じエネルギーの対価として値段をつけるならコレですよ。」と言いたかったのではなかろうか。
しかし、実際何人かの人に意見を聞いたところ、新しくできたサイトは百数十万円の価値のあるものではない、とのことであったのでこれは私たちに対する彼らなりの意志表明であり、ちょっとした嫌がらせのようなものだったのかもしれません。
私たちはちゃんと嫌な思いをしましたし、気持ちも落ち込みました。彼らの戦略はしっかり効果を発揮したのです。
結局私たちはサイトを調査して見積りをしてくださった情報から、こちらからは数十万円の代金を支払いたい旨を伝えたところ、彼らもすんなりそれでいですよ的なお返事で、支払いを済ませ、もうこのような仕事のやりとりをしたことがとても不愉快だったので、彼らとはこの時点で今後お仕事はしたくないと思いました。
あの見積りが来た時、私の中で彼らへ信用と期待は微塵もなくなりました。
おそらくはですが、彼らは講座の知識やマーサの星読みをエネルギーの交換として考えていたのかもしれません。エネルギーの交換の話も、半永久的にマーサの力を搾取したかったからなのかもしれないと思いました。彼らがマーサの星読みをしてもらう動画のサムネを見せられて、「こんなことも企画していたのに」とアプられたと後から聞きましたしね。
星読みは毎日変化しますし、ネタには困らないコンテンツと言えます。宣伝には最適かもしれません。マーサの星読みは、かなり特殊ですからレアコンテンツと言えますが、在処が在処である所以はマーサの星読みに、私がガイドのアドバイスと知恵を混ぜて具体的なアドバイスをするからこそのものなのです。私はコントロールできませんから、邪魔だったのかもしれませんね。
最終的に私は「私の判断が甘かったので、あなた方にも迷惑をかけた。」と謝ったのですが、彼らからきた返事は「立場があるならもっとちゃんとした言葉や行動をするべきだ。」というものでした。
あなた方は、そう取るのね。
私は他人のせいにはしたくないし、自分勝手にもなりたくない。問題だった点は、非を認めるし、反省もする。
私はここまでされても、彼らのことを考えてしまっていたようです。嫌な思いをさせて申し訳なかったとその時は思っていました。
私はどこかで彼らに気づいて欲しかったんだと思います。私にもあなたたちにも問題があったこと。私は自分の傲慢であった考え方に問題があったことに気づいた。ならばあなたたちには何が問題でこんなことになったのか考えて気づいて欲しい。人のせいにするだけでなく、自分のしたことに言い訳をして「私を嫌いにならないで」などということでこのことを終わらせるようなことをしないで欲しかった。
マーサに言わせると、本当に私は人が良すぎるらしい。自分でもバカだと思います。
私も在処を搾取できると思われたことに、ある意味軽く扱われたことににとても腹が立ちました。マーサはもっと怒っていました。そして悲しんでいた。
そして本来は愛され愛おしむのが当たり前の私たちの分身である在処のサイトは、見るたびにあの出来事を思い出す、彼らを思い出して嫌な気持ちになる忌むべきものになってしまったのです。